" /> 【奔馬】『豊饒の海』第二部!清顕の魂を継ぐ右翼青年の悲劇と思想 | 本読み広場

【奔馬】『豊饒の海』第二部!清顕の魂を継ぐ右翼青年の悲劇と思想

昭和の文学(戦後)

昭和初期、若き剣道家・飯沼勲は、純粋な愛国心から国家転覆のクーデターを計画する。美と行動、そして破滅のテーマが交錯する、緊迫の青春小説。『豊饒の海』四部作の中でも、最もエネルギッシュな第二部。

 著者・奔馬の創作の原点

三島由紀夫は、美と死、そして日本の伝統的な精神性を生涯にわたって追求しました。この『奔馬』は、大河小説『豊饒の海』の第二巻にあたり、前作の耽美的な「静」の世界から一転し、肉体と行動、そして政治的な「動」の世界を描いています。

執筆当時、三島由紀夫自身が思想と行動の一致を強く志向していた時期と重なっており、作品には、清冽なナショナリズム破滅的な理想を体現する主人公の姿を通して、作者自身の思想的な熱量が色濃く反映されています。これは、三島文学の深奥にある「自己と世界の一体化」という哲学を追求した作品です。

どんな物語?

1969年(昭和44年)の作品

物語は、前作『春の雪』から時を経て昭和初期に移る。前作の主人公・清顕の親友であった本多繁邦(ほんだ しげくに)は、転生の確証となる三つの黒子(ほくろ)を持つ若き剣道家・飯沼勲(いいぬま いさお)に出会う。勲は、清純で純粋な精神を持ちながら、右翼的な国家革新の思想に強く傾倒しており、天皇を中心とした理想の国を実現するために、破滅的な行動へと突き進む。

本多は、勲の中に清顕の魂の再来を感じ取り、その純粋な行動主義に魅了されながらも、彼の破滅への道を阻止しようと葛藤する。勲は、血盟団事件や五・一五事件といった当時の時代背景を背負いながら、清らかなる暴力をもって「この世の悪」を清算することを試みる。彼の純粋さと狂気が、時代と衝突していく様を描いた、緊迫感あふれる物語である。

感想(ネタバレなし)

三島由紀夫の遺作となった大河小説『豊饒の海』。その第二巻である『奔馬』を読み終えた今、私の胸には、荒れ狂う馬の嘶きを聞いたかのような激しい動揺と、言葉にできない静かな戦慄が残っています。前作『春の雪』で描かれた、大正の華族社会という耽美的で「静」の世界から一転し、本作は昭和初期の剣道や右翼思想、そして血の匂いが漂う「動」の世界へと読者を叩き込みます。

物語の核となるのは、腐敗した日本を立て直すという自らの正義のために、文字通り命がけの計画を立てる青年、飯沼勲です。彼は、金や権力にまみれた大人たちの世界を激しく憎み、己の純粋さを「死」によって完成させようとします。正直に申し上げて、平和な今の時代に生きる私には、彼の抱く極端な思想や死への渇望に、心からの共感はできないです。命を投げ出すことが美徳とされる世界観は、あまりにも遠い場所にあるように感じてしまうからです。

戦時中やその前夜を描いた物語では、しばしば「お国のために、自らの命を投げうつ」という感覚が、高潔な美談のように扱われる場合があります。しかし、もし自分がその立場に置かれたとしたら、どうでしょうか。きっと私なら、その行動の先にある「死の恐怖」というものの存在が圧倒的に大きくなってしまい、どれほど理想を掲げたとしても、それを成し遂げることは到底できないでしょう。死を前提とした行動の重圧に、足がすくんでしまうのが人間としての本能だと思うからです。

ところが、本作の主人公である勲は、そんな「死への恐怖」を微塵も感じていないかのように見えます。彼は恐怖を抱くどころか、むしろ清冽な憧れを持って、自らの破滅的な計画を一歩ずつ着実に進めていきます。その迷いのない歩み、研ぎ澄まされた刃のような心情描写に触れていると、読み手としては、物語の緊張が高まっていくほどに、手に汗握り、体に力が入ってくるのを感じずにはいられません

また、本作のもう一人の主人公とも言える本多繁邦の存在が、物語に絶妙な奥行きを与えています。前作では繊細な美青年だった本多も、今作では三十八歳になっており、判事という社会的な地位を確立しています。彼は、かつての親友・清顕の面影を勲の中に見出し、彼を取り巻く大人たちの中でも、数少ない理解者として勲を救おうと苦心します。しかし、勲からしてみれば、本多はあくまで「父の古い知人」という、人生における大した存在ではありません。本多がこれほどまでに勲を案じ、見守っているにもかかわらず、当の勲がそれをほとんど意識していない様子は、読んでいて非常にもどかしく、切ない気持ちにさせられました。

本多自身も中年に差し掛かり、若者を見守る、あるいは裁く立場になったことで、彼自身の内面にある停滞感のようなものが浮き彫りになります。それとは対照的な、勲の放つ眩しいほどに激しく、青臭いまでの若いエネルギーが、読者にはさらに勢いよく、かつ残酷なまでに美しく思えるような気がします。

どうしても「三島由紀夫」という作家を語る際、私たちはあの市ヶ谷駐屯地での、軍服に身を包んで演説をしている最期の姿を強く連想してしまいます。本作を読み進めるうちに、その歴史的な事実としての三島由紀夫の姿と、作中の勲のイメージが重なることが、何度もありました。堂々と決意を持った表情をして、自らが信じる唯一の正義に向かって突き進む。そんなふうに、文字の向こう側に想像する勲の揺るぎない心境と、圧倒的な行動力こそが、本作の最大の見所であり、三島文学が持つ抗いがたい魔力なのだと感じました。一巻の「雪」が、二巻では「血」と「汗」に変わる。その魂の転生の激しさに圧倒されつつ、物語はさらに深い謎を秘めた第三巻へと続いていきます。

こんな人におすすめ

  • 三島由紀夫の「行動の美学」や右翼的な思想といった、硬質なテーマに関心がある人
  • 昭和初期の政治的な緊張感や、テロリズムを題材にした小説を読みたい人
  • 美、純粋、そして破滅といったテーマが描かれた、エネルギッシュな青春小説を求める人
  • 『豊饒の海』において、魂がどう転生し、いかなる行動を選ぶのかを探求したい人
  • 日本文学史における社会派・思想小説の傑作を深く読み込みたい人

読んで得られる感情イメージ

  • 若者の純粋すぎる理想が破滅に向かうことへの、深い切迫感と悲哀
  • 主人公の行動と肉体への描写から伝わる、激しく研ぎ澄まされた緊張感
  • 政治的な思想と個人の運命が絡み合う、壮大な物語構造への畏敬の念

読みどころはココ!登場人物・設定の深掘り

『奔馬』の最も重要な読みどころは、主人公の飯沼勲の「思想」と「行動」の徹底した一体化と、彼を取り巻く昭和初期の時代背景です。

勲は、単なる愛国心を持つ青年ではなく、「清らかな死こそが最高の美」という極端な美意識に支配されています。彼の思想は、伝統的な日本の精神性と結びついており、その純粋さゆえに、腐敗した現実を許すことができません。彼が肉体を鍛え、行動のための「器」として自らを完成させようとする描写は、三島由紀夫自身の「肉体への賛美」を象徴しており、非常に強い印象を与えます。

また、前作から引き続き登場する本多繁邦(ほんだ しげくに)の役割は、さらに深まっています。清顕の時代には「知性」の傍観者であった本多が、今作では勲の破滅的な計画の「共犯者」のような立場に立たされます。本多は、勲の行動を理性で否定しながらも、その純粋さに魅了されるという葛藤を抱え、読者に「知性」と「行動」のどちらに真実があるのかという問いを突きつけます。

三島由紀夫が自らの思想を肉体で示した、「行動の美学」の文学的結晶

この作品は、三島由紀夫の思想的な核である「行動の美学」が最も直接的、かつ熱く表現された部分であり、作者が晩年に求めた「理想と現実の統一」を理解するための、文学的・情報的な価値を持つ作品です。

読後の余韻をどう楽しむ?

読了後、飯沼勲の「行動を起こすことと、その後の死」が、彼にとって本当に「最高の純粋さ」であったのか、それとも「自己愛の極致」であったのか、という哲学的・倫理的な問いについて深く考察してみてください。純粋な理想が、いかに簡単に暴力や破滅へと転化し得るのかという、現代にも通じるテーマが見えてくるでしょう。

また、この『奔馬』は、『豊饒の海』の第二部です。第三部『暁の寺』へと読み進めることで、勲の魂がどのように「輪廻転生」し、時代や場所を変えて「美と運命の物語」を繰り返していくのか、という壮大な構造を楽しむことができ、三島由紀夫の文学的な遺言とも言えるこの大河小説の真髄を味わうことができます。

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