まじめな大学生・郁雄は、恋人・百子との婚約を果たす。結婚を控えた安穏な愛は、年上女性との出会いと周囲の思惑により波乱を迎え、優雅でコミカルな試練となる。
作品の位置づけ
三島由紀夫は、美と死といった重厚なテーマを追求する一方で、キャリアの初期には通俗的な要素や恋愛を扱った作品も手がけており、この『永すぎた春』はその一つです。戦後の復興期を背景に、純粋な恋愛感情と、それを囲む家庭や親戚間の人間関係、さらには社会的な嫉妬や陰謀を描写することで、「世間という俗悪さ」に対する若者の清純さを対比させています。これは、後の三島作品で見られる「純粋なものへの希求」を、日常的な恋愛という形で表現した、貴重な作品です。
どんな物語?
1956年(昭和31年)の作品
T大法学部の大学生、宝部郁雄と、古本屋の娘・木田百子は婚約するが、結婚は郁雄の大学卒業まで待つことになった。接吻以上の関係はないものの、夫婦同然に公認された二人の「永すぎた春」のような婚約期間が始まる。しかし、この期間中に、郁雄は年上の美人画家に誘惑され、また、百子の兄の結婚をめぐる親戚間の複雑な感情や陰謀が、二人の純粋な愛を脅かし始める。郁雄と百子は、次々と襲いかかる試練の中で、互いへの愛と信頼を試されていく。
感想(ネタバレなし)
この『永すぎた春』を読んで、「純粋な愛」が、いかに周囲の「俗悪な感情」によって簡単に汚され、脅かされるかという構造に、強い緊張感を覚えました。主人公の郁雄と百子の恋愛は、最初こそ清らかで祝福されたものに見えますが、年上の女性の誘惑や、親戚間の嫉妬や体裁といった、「世間」という名の毒が、執拗に二人の愛に介入してきます。
特に興味深いのは、三島由紀夫が、恋愛における「純潔」という要素を、物語の核に据えている点です。百子が、不安から結婚前に体を許してもいいと言い出す心理、そして郁雄が、彼女の純潔を守ろうとする姿勢は、単なる道徳ではなく、「愛の理想を保ちたい」という若者の切実な願いとして描かれています。
一方で、物語の後半に登場する親戚間の陰謀は、純粋な愛とは対極にある、人間の持つ根深い「妬み」と「ひがみ」を浮き彫りにします。彼らが、無邪気な百子の幸福を妬み、陥れようとする姿は、「俗悪な現実」の象徴です。最終的に、二人が愛と信頼に基づいて、これらの試練を乗り越えようとする姿は、真の愛の強さを感じさせます。この小説は、三島の流麗な筆致による華やかな恋愛描写を楽しみながら、「愛は世間の毒に打ち勝てるのか」という、普遍的でスリリングな問いに深く向き合える傑作です。
こんな人におすすめ
- 三島由紀夫の作品の中で、恋愛や日常的な人間関係を主題としたものを読んでみたい人
- 純粋な愛と、それを脅かす社会的な陰謀という対立構造が描かれた物語を好む人
- 結婚を控えた男女の繊細な心理と葛藤について深く共感したい人
- ユーモアとシニカルな視点を交えた、読みやすい恋愛心理劇を探している人
- 「嫉妬」や「ひがみ」といった人間の感情が、他者に及ぼす影響を考察したい人
読んで得られる感情イメージ
- 婚約期間の甘さと、長引くことへの切実な焦燥感
- 愛の純粋さを脅かす世間の陰謀に対する、強い緊張感
- 試練を乗り越えようとする若者の愛の強さへの、静かな感動
読みどころはココ!登場人物・設定の深掘り
この小説の読みどころは、主人公カップルを取り巻く、対照的な女性キャラクターたちです。一人は、郁雄を誘惑する美人画家・本城つた子で、彼女は「結婚前の愛の自由」や「肉欲的な現実」を象徴しています。もう一人は、百子の兄の婚約者の母である浅香の母・つたで、彼女は「嫉妬とひがみ」という最も俗悪な感情を具現化しており、二人の清純な愛に対する最大の脅威となります。
これらのキャラクターたちが、郁雄と百子の「永すぎた春」というユートピア的な状態を、いかに現実の泥で汚そうとするかという対立構造が、物語の推進力となっています。特に、浅香の母「つた」が、自分の娘の幸福でさえ妬むという描写は、人間の根深い悪意を浮き彫りにし、物語にスリリングな深みを与えています。
三島由紀夫が描く「結婚」=「愛の完成と終焉」という思想の萌芽
この小説は、結婚を「愛の完成」であると同時に、「純粋な春の終わり」と捉える三島の初期の視点が表れています。若者が理想的な愛を、俗悪な現実(親戚の陰謀)から守り抜こうとする努力に、この作品の倫理的価値があります。
読後の余韻をどう楽しむ?
読了後、主人公の郁雄が、学友の宮内に言われた「君はエゴイズムで動いているんだが、それを性欲と思いちがえている」という言葉の真意について深く考察してみてください。郁雄の「純潔を守る」という行動が、本当に百子のためだったのか、それとも自分の理想という「エゴイズム」を満たすためだったのか、という問いは、愛の本質を深く問い直させます。
また、百子と郁雄が「素直に幸福をもらおうと誓い合った」という境地が、三島由紀夫にとって何を意味したのかを考えるのも興味深いでしょう。彼らが「世間の毒」を経験した後に手に入れたものは、無垢な愛のユートピアなのか、それとも現実を直視した上での妥協なのか。この「誓い合った幸福の形」が、この軽快な恋愛小説の奥に潜む人生哲学を浮かび上がらせます。
この不朽の名作を読んで、あなたの「愛の純粋さと、世間の毒」の定義を問い直しませんか?
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